とある京大生の

独断と偏見

高学歴の世界からみた低学歴

 

最近目にした2つの記事。自分にも少し思い当たるところあったので書きたいと思います。読んだのはこの2つの記事。

luvlife.hatenablog.com

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2つの記事に共通して、主張しているのは、こどもの育つ環境は親の学歴によって大きく左右されるということ。そしてその環境は、高学歴側と低学歴側の双方にとって想像がつかないほど隔絶しているということ。この2点が「低学歴側」に育った家庭からの目線で書かれています。そこでここでは、いわゆる「高学歴側」からの目線で書きたいと思います。

あらかじめ言っておきたいのは、この記事は自慢でもなんでもなく、こちら側はどのような世界なのか、こちら側からみたあちら側の世界がどのようにうつっているのか、

ということをかきたいと思います。

2つの記事を読む限り、親が国立大学を卒業している私の家庭は「高学歴」といっていいでしょう。私は、低学歴の世界で育った母と高学歴の世界で育ったの父のもとに高学歴の世界の子として生まれました。

母の両親は高卒です。祖母は、少なくとも国立大学(当時、帝大)は狙えるほど勉強がとてもできたそう(今でも勉強が趣味)ですが、女性ということ、家が裕福ではなかったということ、で大学には行けませんでした。

そんな両親のもとに育った母は、とても貧乏ではありませんでしたが裕福でもありませんでした。大学には行かせてもらえましたが、国立でしかも家から通えるところしか受けさせてもらえませんでした。

父はというと、祖母は当時には珍しく大学でており、祖父は東大。そんなもとに生まれた父は、幼稚園から私立で中高も私立、大学は京大で、絵にかいたような裕福な家庭でした。

そんなもとに生まれた私は、自然な流れで中高と私立、大学は京大へと進みました。中高の同級生も東大が京大が医学部、私立なら早慶がほとんどでした。一般に社会の縮図と呼ばれる地元の小学校ですら、住んでいた地区の兼ね合いから、ほとんどが関関同立あたりの賢い大学にいっています。きっと高学歴側の住人なんでしょう。

母は子供の頃からよく、「この環境が当たり前と思ったらいけないよ。勉強したくてもできない人がいるんだよ。」みたいなことをよく言っていました。きっと低学歴の世界で育った自分や祖母の「当たり前」と高学歴の世界で育った息子の「当たり前」が乖離していることに気づいていたんでしょう。小さいころは「はいはい」と分かったつもりでいましたが、比べる対象は、高学歴の世界にいる人しかいないので、理解できていませんでしたし、今も理解できていません。1次情報として、聞いたことがないので、冒頭のブログの記事が本当に日本で存在するのかやはり疑ってしまいます。

私の家は、所得の割には、お金づかいは荒くなく、子供の頃から倹約を口うるさく言われました。自販機やコンビニでの買い物は禁じられていました。それでもある程度お金持ちな肌感覚はありましたが、母は自分の家の所得は決して教えてくれませんでした。きちんと知ったのは、大学の入学関連の書類で目にしたときです。自分が想定していた金額よりも何倍も多かったのを覚えています。今はもっともらっているのかもしれません。その想定していた額と実際の金額のギャップは、高学歴の世界に属している家庭を低学歴側に近づけようとした母の努力なんでしょう。

母はよく、自分が大学生のときに、成人式か卒業式どちらかしか振袖はダメと母に言われ、結局成人式には行かなかった話をします。きっと当時悔しい思いをしたんでしょう。友達が振袖を着て綺麗に装っている中、家にいたんですもんね。当然ですよね。そのあとも成人式の話なんかになった時は、会話の輪に入れず、嫌な思いをしてたのかもしれません。どれだけ寄り添っても僕にはわかりません。母は努力して「あたりまえ」の水準を下げようと育てて、それでもなお「あたりまえ」の水準が高く育ってしまうだろう私に、低学歴の世界の人であった自分が感じた悔しさを伝えることで、低学歴の世界の人が感じている気持ちや「当たり前」を息子に忘れて欲しくなかったのでしょう。

 

では、高学歴の世界の人は、低学歴側の世界をどうみているのでしょう。

「親の所得により環境の差異があることはわかっている。それは確率的な問題で避けられないので嘆いても仕方ない。そのような家庭のために国が救済制度を作っている。奨学金だってある。今ではネットで無料で勉強もできる。道は閉ざされていない。逆転のチャンスはたくさん転がっている。自分の努力が足りないのを社会の制度にするなよ。」少なくともこんなスタンスでした。私は。大阪都知事の橋下さんなんかもこんな論調だったと思います。高学歴側の多くが橋下さんを支持していたのも頷けます。

2つの記事をよんで、改めてどう思ったか。

・親の所得により環境の差異があることはわかっている。

→わかっていない。環境の差異が想像以上にある。

 ・道は閉ざされていない。

→親が低学歴の世界にいるため、子供にとって合理的な選択であるはずの、社会制度などが選択されないケースがあり、外部要因によって閉ざされうる。

 

そして今何を思うか。

2つ目の記事にあったように、この高学歴の世界と低学歴の世界の溝を埋める。つまり、自分の属していない他方の世界の実情を"知る"ことがよりよい社会を作る第一歩になるのではないかと思ったのでありました。